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<title>ソフィの向こうに見えるもの</title>
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<description>Things I see over there of Sophie.
ソフィとの暮らしから綴るエッセイ
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<title>第4章の3回目です</title>
<description> ソフィの11歳の誕生日からはや1ヶ月が経過しました。ソフィは緩和治療で毎日ステロイドを服用しています。でもがんの進行を食い止めることはできていません。ステロイドの効果でハイテンションで一見元気なのですが、これは薬のせい。恐らく身体の中では少しずつ色々なところにがん細胞が進行しているとのだと思います。「何とか食い止めたい！」でも「できない」心の中ではそんな思いの繰り返しです。でもソフィは、今日は元気な
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<![CDATA[ ソフィの11歳の誕生日からはや1ヶ月が経過しました。<br />ソフィは緩和治療で毎日ステロイドを服用しています。でもがんの進行を食い止めることはできていません。ステロイドの効果でハイテンションで一見元気なのですが、これは薬のせい。恐らく身体の中では少しずつ色々なところにがん細胞が進行しているとのだと思います。<br />「何とか食い止めたい！」でも「できない」心の中ではそんな思いの繰り返しです。<br />でもソフィは、今日は元気なのです。<br />その元気に、その瞬間に感謝していこうと思います。<br /><br />それでは第4章の3回目です。<br /><br />人は、愛が憎しみに変わりそして失ったとしても、時がその心の痛手を癒してくれることを知っています。そして、再び求める希望とその術も心得ています。しかし、この仔たちにはそうしたある意味器用なことはできません。愛と憎しみを混同したり、愛を比べることもしません。<br />もし、この仔たちが、愛が享受できないと分かったとしたら、人と同じくこの仔たちにとってもそれは許しがたく、しかしだからといって失望し、その愛が憎しみに変わることもありません。恐らくこの仔たちは、その心を硬く閉ざすだけなのです<br />心の、その瞬間がこの仔たちのすべてであり、ふり返り悔やむことも、未来を危惧することもありません。人のように動機を省みず結果ばかりを案じ、無意味な不安に悩むこともありません。<br /><br />ただ、私たち人間にもこの仔たちにも、一度として愛を感じることなく生涯を終えてしまうものがいるのは事実です。たとえ感じたことがあったとしても、劣悪で悲しく冷たい境遇が心を硬く閉ざしてしまうこともあります。<br /><br />私がその家を初めて訪れたのは、すでに虫の音も聞こえ始めた夏のおわりの夕暮れ時のことでした。この仔との暮しをきっかけに知り合うことのできた友人たちとともに、自分たちにもできることがあるかもしれないと思い出掛けました。<br />そして、一組の知人夫婦の決断もあり、一つの幼い命を救い出すことができたのです。<br /><br />その家は、私の故郷と同じ信州の別荘地に程近い、田畑の広がる村里にあります。<br />以前は宿泊業を営んでいて、その豊かな自然と避暑を求め、多くの人がその愛犬とともに訪れていたと聞きます。２階には６畳ほどの客室がいくつもあります。また１階には３０畳はあろうかという大きな食堂。そして、玄関からその食堂へと続く廊下もとても広く、明らかに普通の住居とは違う大きなものです。<br />あるじは５０歳前後と思しきふくよかな女性。物腰も柔らかく、接客業を営んでいたそのことばには、粗野なところは微塵もなく、育ちも気立てもとてもよく見受けられます。<br />その昔彼女は、イヌたちを連れて訪れる多くの宿泊客を迎え、彼女の愛するイヌたちとともに和やかに暮していたのでしょう。しかし、そのイヌたちに仔イヌを産ませ、売ることを生業にしてしまい、そうしなくては自分や家族が生きることができない状況に自らを追い込んでしまったのです。<br />彼女をあるじとも知らず、優しく触れ合うことすら知ることのできないイヌたちの悲しい叫びが、いくつもの扉の向こうから、さらにはその庭の物置からも聞こえています。<br />自分の排泄物すら遠ざけることも叶わず、その横たわる床も金網の冷たく狭い檻に入れられたままなのです。すべての窓はその鳴き声を外に漏らさないため硬く閉ざされたまま、木々の香りすらその家に入ることはありません。そして、片付けられずそのままの排泄物、食べ物や水を継ぎ足すだけの置かれたままの食器、様々な臭いの入り混じった、鼻は言うに及ばず目までもが痛くなるほどの堪らない空気に満たされています。日々の散歩もありません。中にはその心の限界を超え、叫ぶことすらできない、衰弱しその先には死しかないかもしれないうつろな目を持つ仔もいるのです。<br /><br />この仔たちの祖先は３万年の昔から私たち人間とともに暮し、その暮らしをより良くするために、生きる術をお互いに補いながら今日に至っています。この仔たちの生まれ持った個性には、私たち人間と暮らす術がすでに備わっているのです。<br />この家の仔たちはその個性すら見出されず、自分以外に存在するものが心を許し、守り守られる仲間なのか、それとも捕食者のような敵なのかすら考える機会も与えられません。<br /><br />私たち人間の多くが信じて疑わない物質的価値観が、この家の仔たちに、もちろんこの家のあるじにとっても例えようのない不幸な境遇を作り出しています。<br />今、この日本だけでも１２００万ものこの家の仔たちと同じ命が存在しています。<br />そして、あろうことか私たち人間の一方的な都合とその物質的価値観のために、１日に何千という命が、決してその命が望まない惨い死へ、私たち人間自らが追いやっているのです。<br />守るべき命と向かい合うとき、ほんの少しでもいいから命を思い、その命の生まれ持ったすばらしい個性を感じることができれば、そして物質的な価値観ばかりを重んじるあまり、その命の重みが感じられないなんてことが少しでもなくなればと思わずにはいられません。<br /><br />つづく ]]>
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<dc:subject>第4章</dc:subject>
<dc:date>2008-08-28T11:14:33+09:00</dc:date>
<dc:creator>shino</dc:creator>
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<title>第4章の2回目です</title>
<description> 今日はソフィの11歳の誕生日です。3年前の同じ日、この今日という日を一緒に迎えことができるなんて思ってもいませんでした。この仔は本当によく頑張っています。でも今日ソフィを病院に連れて行った妻からの連絡で、緩和治療しかそろそろ選択肢がないと告げられてしまいました。ここ数日のリンパの腫れから大体想像はしていたのですが･･･いままでたくさんの抗がん剤を投与して、憎きがん細胞も耐性を身に付けてしまい、今後新たに
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<![CDATA[ <strong>今日はソフィの11歳の誕生日です。</strong><br /><br />3年前の同じ日、この今日という日を一緒に迎えことができるなんて思ってもいませんでした。この仔は本当によく頑張っています。<br />でも今日ソフィを病院に連れて行った妻からの連絡で、緩和治療しかそろそろ選択肢がないと告げられてしまいました。ここ数日のリンパの腫れから大体想像はしていたのですが･･･<br />いままでたくさんの抗がん剤を投与して、憎きがん細胞も耐性を身に付けてしまい、今後新たに投与できる抗がん剤は副作用も大きく、恐らく入院も余儀なくされるものしか残されていません。<br />この仔は食欲もしっかりあってとても元気です。病気だなんてとても信じられません。<br />だからこの元気を奪ってしまう薬を、たとえ寿命が延びたとしても与えるべきではないと。それはこの仔にとってはとても残酷な私たちのエゴだと考えています。<br />ただただ穏やかに、いつも笑顔で傍にいてくれるよう願うばかりです。<br /><br />さて第4章の2回目です。<br /><br />私と妻が言い争うとき、この仔は懸命に私の口元を舐め、妻に寄り添い、そして再び私をじっと見つめます。それを幾度となく繰り返します。災いの元である私の口に、<br />「やめて！お願い、落ち着いて。」と、懸命に伝えます。<br />ある日、私と妻の言い争いが玄関口にまで及んだときのことです。<br />この仔は、私の声に興奮して喉が渇いたらしく、玄関の横にある水飲み場に行こうとしていました。私は、この仔の喉の渇きよりも自分の言い分を妻に吐き出すことを優先していたのです。ようやく水を飲ませることができ家に入ろうと促すと、この仔は一向にその場を動こうとしませんでした。いつもなら我先に家の中に入るのに、私を見つめこう訴えているように見えました。<br />「怒らないで！争いごとはいや！」<br />まるで、今のこの家の空気は許せないと言わんばかりに、その瞳は決して逸らすことなく私を見つめていました。そのかたくなな姿を目の当たりにし冷静さを取り戻した私は、この仔の目の前にひざまずきその頬をそっと両手で包み、<br />「分かった」<br />すると、私の口元をひとしきり舐め、いつものように家の中に入って行ったのです。<br />この仔に迷いはありません。我を省みない一途で正直な思いだけです。<br />「いつも穏やかでいてちょうだい。」と。<br />その瞳には、憐れみの心さえ感じます。<br />その淀みない暖かな心で包み込むように、それは思いやりの気持ちとできる限りのことをしてあげようという、まるで私たち夫婦が守られているかのようです。毅然と突き放す優しさもありますが、それは心安らぐ優しさそのものです。<br />こうして、妻との言い争いも続かず、その原因がなにであれ、私たち夫婦を謙虚な気持ちへと導いてくれるのです。<br />「分かった。ゴメン、もうしない。」<br />そして、喜びのキスの嵐。こうして私たち夫婦が癒されるのです。<br /><br />つづく<br /> ]]>
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<dc:subject>第4章</dc:subject>
<dc:date>2008-07-23T14:42:39+09:00</dc:date>
<dc:creator>shino</dc:creator>
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<title>さて今日から第4章です</title>
<description> さて今日から第4章ですが･･･また随分と間が開いてしまいました。ソフィ、また憎きリンパ腫が顔を出してしまいました。休薬もあまり続かず、結局先回と同じ抗がん剤を4日に投与しました。この薬、肝機能を著しく悪くします。薬で肝機能を回復させながら同じ抗がん剤の投与の時期を窺うという状態です。幸い薬は効いているようでリンパの腫れも小さくなっていますが・・・肝機能は悪いです。免疫力も落ちていて感染症に気をつけなけ
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<![CDATA[ さて今日から第4章ですが･･･<br />また随分と間が開いてしまいました。<br /><br />ソフィ、また憎きリンパ腫が顔を出してしまいました。休薬もあまり続かず、結局先回と同じ抗がん剤を4日に投与しました。この薬、肝機能を著しく悪くします。薬で肝機能を回復させながら同じ抗がん剤の投与の時期を窺うという状態です。<br />幸い薬は効いているようでリンパの腫れも小さくなっていますが・・・肝機能は悪いです。免疫力も落ちていて感染症に気をつけなければなりません。毎週肝機能と免疫の検査を続けています。<br /><br />今月の20日で悪性リンパ腫の発症からこの病気では奇跡のように長い3年が経ちました。本当にこの仔は頑張ってきました。きっと私の気苦労など足元にも及ばない大変なものだったに違いありません。4時間にも及ぶ点滴注射にも自ら動くことなくじっと耐えていたんです。（プロフィールの写真がそのときの様子です）<br />病院で担当獣医に呼ばれれば自ら診察室に「ワン！」って返事をしながら入って行きます。まるで自ら気合を入れるかのようです。<br />「薬は効いているのか？」「効いた！」と幾度となく繰り返してきたものの、これからは効く可能性のある抗がん剤の選択肢もあまりありません。残念ながらリスクの大きい薬しかそのわずかな選択肢に残っていません。でも今のこの仔の元気を奪って苦しい思いをするような副作用の強い薬だけは与えたくありません。<br /><br />来月23日に11歳の誕生日を迎えようとしています。厳しい決断のときが刻一刻と近づいているようにも思います。<br /><br />マイナスな気が今のこの仔に伝わらないように心掛けなければ。<br />とにかく今はこの仔の生命力を信じてあげることが一番大切なことなのでしょう。<br /><br />それでは、<br /><br /><strong>第四章	愛はありますか。</strong><br /><br />「あなたにとって愛って何ですか？」<br />こう突然問われたら少し考えてしまう人、多いような気がします。<br />ひとつのことばの意味がこれほど多種多様で奥深いことばも他には思い当たりません。<br />そしてこのことばの意味を感じるとき、一つとして同じ感じ方もないように思います。<br /><br />高校生の頃、ある一冊の本にとても感化されたことがあります。それは、<br />〝誰のために愛するか〟、著者は曽野綾子さん。<br /><br />その頃の私は、隠れてタバコを吸ったり、オートバイを乗り回したりして多少の悪さもしましたが、両親が困惑するほど心配を掛けることはありませんでした。北アルプスの麓で育ったおかげで山岳部に入って登山に夢中になったこともありました。そして、大学受験もそれほど意識せず、どちらかと言うとのんびりした高校生活だったように思います。<br />そんな中、とても気になる女の子がいました。あろうことか、その子からラブレターをもらってしまい、その恋が愛になるのなら、はたしてそれはどのようなものなのか知りたくて、何度もその本を読み返したものです。もちろん、そのときの私にはその答えを知ることも理解することもなく、あえなく撃沈してしまいました。その子から告白されていたのに一方的にフラれてしまったのです。まるで私の一人芝居でした。<br />ただ、そのとき生まれて初めて命と生きること、そして愛について考え、悩んだように思います。ほろ苦く気恥ずかしい思い出です。<br /><br />この仔はそんな昔の思い出も、そして妻とのこと、両親のこと、様々な出会いについても思い起こさせてくれます。それにこれからのことも考えさせてくれるのです。<br /><br />それはこの仔の生きている姿、様子そのすべてにとても純粋な心が常に満ち溢れとてもまぶしく、私の濁った視界を洗い流してくれるからかもしれません。<br /><br />幼い頃、両親の精いっぱいの愛に即座に応えようとしませんでした。<br />「うるさいなあ。」とか、分かってもいないのに、<br />「分かったから、もういい！」なんて。<br />ところが、故郷を離れ大学に進学するとき、母が言ったことばは、<br />「あなたが私の子で、だから私は一生懸命働ける。それが生きがいよ。」と。<br />私が愛されることを初めて心から感じた瞬間でした。<br />ところが、誰にも干渉されない自由な大学生活は、そんな母のことばすらも瞬く間に忘れさせてしまいました。<br />でもこの仔と暮らす今、その母のことばを思い出し、再び噛みしめることができます。<br />「命のために精いっぱい生き、そしてその命に感謝することこそ愛すること」と。<br />そしてイヌやネコたち囲まれて暮らす母は今も、<br />「私は、あなたたちや孫にひ孫、それにこの仔たちに生かされているの。」と言います。<br />命を生かす命。この仔も紛れもなく限りなく穏やかな、その命そのものです。命と命、心と心、そこには必ず愛があります。一切の疑いも妬みもありません。<br /><br />つづく ]]>
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<dc:subject>第4章</dc:subject>
<dc:date>2008-06-25T10:39:15+09:00</dc:date>
<dc:creator>shino</dc:creator>
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<title>第3章の3回目、最終です。</title>
<description> ソフィは完全完解を継続中です。獣医からは抗がん剤の継続投与を勧められましたが、副作用のリスクも決して小さくはなく薬漬になってしまうのにも抵抗があり、休薬をしてみることにしました。先日、ソフィが寝起きの直後尋常でないふらつきがありました。幸いすぐに直りましたがそのときのソフィの眼には「どうして？？どうなっているの？？助けて！」と言わんばかりの思いが見て取れました。その眼が脳裏から離れません。いつかは
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<![CDATA[ ソフィは完全完解を継続中です。獣医からは抗がん剤の継続投与を勧められましたが、副作用のリスクも決して小さくはなく薬漬になってしまうのにも抵抗があり、休薬をしてみることにしました。<br />先日、ソフィが寝起きの直後尋常でないふらつきがありました。幸いすぐに直りましたがそのときのソフィの眼には「どうして？？どうなっているの？？助けて！」と言わんばかりの思いが見て取れました。その眼が脳裏から離れません。いつかはそのときを迎えるのですが、いくらこころの準備ができていてといっても、ことばでは言い表せられないものがあります。<br />今までそうでなかったとは認めたくはありませんが、今できることは精一杯接してあげること、それだけのように思います。<br /><br />今日は第三章最終です。<br /><br />この仔との暮らしも４年が過ぎたころ、ようやく私の仕事も先の展望を持てるところまでになり、国内の百貨店に向けた衣料品の企画と販売を、中国の生産工場と共同で取り組むまでになっていました。そして、上海や香港に数日出張することがあり、その出張から私が帰宅するときのことです。妻が最寄りの駅にこの仔とともに車で出迎えてくれることがあります。<br />妻はこの仔に、<br />「今日帰ってくるよ、迎えに行こうか？」とたった一言だけ話しかけ、この仔は明らかにいつもとは違う慌てた様子で車の後部座席に飛び乗り、終始興奮して、駅に近づくにつれその度を増しているそうです。<br />ようやく私と会えたこの仔は、それはそれは熱烈に、私が助手席に座ってもいつまでも顔じゅうを舐め続け再会を喜びます。<br />さらに、なにげなく交わす普段の会話でも、<br />「そっちじゃないよ、こっちに行こっ！」、「そろそろ帰ろうか？」、「足、洗うぞ。」と、些細な投げかけには間違いなく応えてくれます。<br />この仔は、恐らくことばそのものの意味を理解するというよりも、そのときのことばと、その状況から起こりうることを想い描いて結び付けているように思います。そして考え、期待をします。その中には予感とか直感というものも入り混じっているのかもしれません。<br /><br />この仔たちは、楽しいこと、嬉しいことを願い続けます。全身全霊で期待をします。その姿勢が揺らぐことはありません。期待することとは楽しいことそのものです。その先にある期待した通りの結果は、さらに楽しいことなのです。そして、その期待を裏切らないことが、この仔たちとの関係でもっとも大切にしなければならないことなのです。矛盾を感じさせることは決してしてはいけません。戸惑い葛藤することは、この仔たちを遠い存在に、お互いにそうしてしまいます。<br />ことばはありませんが、「なぜ。」、「どうして。」とは言えないしそう思うことは、私たち人間にすべてを委ねているこの仔たちにとってはあり得ないことなのです。<br /><br />ジェフリー・ムセイエフ・マッソン氏が著書の〝犬の愛に嘘はない〟のなかでこの仔たちのことをこう述べています。<br />「身近でありながら同じに遠く離れたと感じる存在。」<br />それは身近で時折垣間見せる、計り知れないこの子たちの力を認めながらも、現代を生きる私たち人間とは明らかに違う、すばらしい世界と感覚を持っていることへの羨望とも思えます。<br />人は、ことばを使い五感を頼りに暮らすことが当然と思えば思うほど、それが本来持っていたかもしれない感覚にもかかわらず、この仔たちが垣間見せるその感覚に魅了されることになるのです。<br />せめてことばを使うとき、美しいことばは美しい心を育むということを忘れないようにしたいものです。<br /><br />私は、精いっぱいこの仔と向き合い、この仔の心の声を聞こうとすることが、お互いが離れた存在と感じない大切なことのように思います。<br />そう、ことばはなくてもすでにこの仔は私にすべてを委ね、私のすべてを信じているのですから。<br /> ]]>
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<dc:subject>第3章</dc:subject>
<dc:date>2008-05-17T13:02:15+09:00</dc:date>
<dc:creator>shino</dc:creator>
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<title>第3章の2回目です。</title>
<description> この4月末は色々なことがあってとてもせわしい日が続きました。その間ソフィの治療もなんとか順調に進んでいます。先週完全完解のお墨付きをいただいて維持しています。ホッ。でも正直この仔の年齢（この7月で11歳）を考えると今後の治療も考えなくてはならないように思います。さてさて第3章の2回目です。ことばには言霊（ことだま）という、ことばに宿る不可思議なちからという考えがあります。だれもそれを証明することはできな
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<![CDATA[ この4月末は色々なことがあってとてもせわしい日が続きました。その間ソフィの治療もなんとか順調に進んでいます。先週完全完解のお墨付きをいただいて維持しています。ホッ。<br />でも正直この仔の年齢（この7月で11歳）を考えると今後の治療も考えなくてはならないように思います。<br /><br />さてさて第3章の2回目です。<br /><br />ことばには言霊（ことだま）という、ことばに宿る不可思議なちからという考えがあります。<br />だれもそれを証明することはできないのかもしれません。<br />伝えることを目的にことばを使う現代人には不可思議な世界ですが、恐らくその昔、人はそれをまったく不可思議と思わず、当然のこととして受け入れていた時代を経験しています。ことばに意味だけでなく、特別な霊的力も持ち得るということ。残念ながらそれらは、五感以外のものの存在を認めようとしない物質至上の文明が忘れさせてしまったようです。<br /><br />この仔は、その現代人が忘れてしまっただろう不可思議なものの存在を知らせてくれることがあります。<br />特別な力を語るとき、とかく五感をもとに考え、存在が確認できるものを基準にしがちです。あり得るとかあり得ないとか。でもあり得るのです。<br /><br />この仔が１歳間もない頃のある日、旧い友人が突然尋ねてきたときのことです。<br />彼は、我が家への道に不案内だったので、私は近所まで出迎えに行きました。ようやく落ち合うことができ、そのまま我が家には寄らず出掛けようということになり、<br />「イヌに留守番させないと。」と私がなにげなく言うと、彼は不都合そうな顔を一瞬見せ、<br />「トイレを借りたいけど大丈夫？」と言うのです。<br />彼との付き合いは小学生から始まっていてとても長く、子供の頃からよく遊んだ幼なじみなのにイヌが苦手なんてとても信じられませんでした。当時私の家にもいましたし、まわりの幼なじみの家には番犬と思しきイヌもたくさんいました。確か彼の家の裏庭にもいたような記憶がありました。<br />「うそだろ？でも大丈夫だよ。大きくて過激にはしゃぐけど優しいから。」<br />玄関の扉を開けて彼を招き入れた時でした。突然この仔が、うなり声とともに吠えたのです。明らかに威嚇の意思が酌んで取れました。人に対してこのような声を発するのを聞くのはこのときが初めてで、私は慌ててこの仔を押さえながら。<br />「いけない！」<br />この仔は身を引きながらも彼に対してうなり続けていました。<br />宅配業者が来ても、新聞の集金が来ても、ましてや友人が尋ねて来ても、喜びのあまり吠えることはあっても、このように人に対して喜び以外の態度をとることなど一度もなかったのです。怒りなのかは分かりません。ただこの仔に対して嫌悪感を抱く人が、私たち夫婦とこの仔の共有するテリトリーである我が家に入ったのはこれが初めてだったような気がします。<br />その後私が、「この人は苦手なんだ」と察することができるほど明らかに避けたり、敵意もなくただ身を引く人にさえも、この仔は同様の態度を取ったのです。<br />その度に私は、<br />「いけない！分かったからもういい。」となだめ、落ち着かせることに努め、その後は次第にそのような態度を取らなくなり、というよりもなるべく無関心を装うようになったのです。これは、繋がれながらも牙をむき吠えたてるものに対しても同じでした。<br />この仔は自分自身に対する嫌悪感や敵意も含めたマイナスの心を、それを発するものの何かしらの気配として直接感じ取っています。それはいわゆる気とか、ひょっとしたらオーラなのかもしれません。それとも、それらマイナスのなにかには、ある種の匂いがあって、それを嗅ぎ分けているのかもしれません。<br /><br />そして、こんなにもすばらしいこともありました。<br />同じくこの仔が１歳ぐらいのことです。<br />私が仕事から帰宅して玄関の扉を開けたときです。もちろんこの仔は玄関で大歓迎のセレモニーをしてくれました。<br />すると妻は「おかえり。」の一言もなく開口一番、<br />「なぜ？どうしてわかるの？」<br />「寝ていたのに突然５分くらい前からそわそわして、玄関を行ったり来たり。仕舞いにはずっと玄関の扉に向かって座っていたわよ。」と言うのです。<br />当時私は、オートバイで移動をしていましたから、５分前といったらまだ家からは少なくとも３キロは離れたところです。帰宅時間も不規則ですし〝帰るコール〟もしません。それに、この仔の待っていたところは野山の続く自然の中でもなく、行き交う車も多く、東京の喧騒だらけのましてや家の中です。私特有の音や匂いとは到底考えられません。その様子を見ていた妻も、なんとなく私が帰る頃かなとは思っていたようですが確信には至りません。しかし、この仔は明らかに私の帰りを察知し、今か今かと心躍らせたのは紛れもない事実なのです。<br />それ以降私が帰宅すると、妻からは、<br />「やっぱり・・・、おかえり。」と言われ、度々私の帰りを察してくれていました。<br /><br />ところが、これらの特別な感覚に伴う行動は月日が経つにつれ少なくなっています。<br />今の暮しは、当たり前のあるべくしてあることが大半を占め、幼いときのように、「遊ぼう！」、「散歩！」そして「ご飯！」と、嬉しいと思えることを待ちわびる胸の高鳴りや、初めてのものに対する好奇心、感動は幾度と経験を重ねることで少しずつ薄れてしまい、その特別な感覚を発揮する機会が少なくなったからのように思います。<br />私たち人間にとっても、変化のない落ち着いた暮しや安定、それに経験と知識を身につけることは、自分自身の安心に繋がる反面、子供の頃の優れた感受性や本能といわれる、本来私たち人間も持ち得るすばらしい力を忘れさせてしまうものなのかもしれません。<br />こうして、特別な感覚を発揮する機会は減りましたが、この仔は歳とともに私たち夫婦のことばには躊躇なく応えてくれるようになっています。<br /><br />つづく<br /> ]]>
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<dc:subject>第3章</dc:subject>
<dc:date>2008-05-11T14:44:41+09:00</dc:date>
<dc:creator>shino</dc:creator>
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