第4章の3回目です
2008/08/28 Thu
ソフィの11歳の誕生日からはや1ヶ月が経過しました。
ソフィは緩和治療で毎日ステロイドを服用しています。でもがんの進行を食い止めることはできていません。ステロイドの効果でハイテンションで一見元気なのですが、これは薬のせい。恐らく身体の中では少しずつ色々なところにがん細胞が進行しているとのだと思います。
「何とか食い止めたい!」でも「できない」心の中ではそんな思いの繰り返しです。
でもソフィは、今日は元気なのです。
その元気に、その瞬間に感謝していこうと思います。
それでは第4章の3回目です。
人は、愛が憎しみに変わりそして失ったとしても、時がその心の痛手を癒してくれることを知っています。そして、再び求める希望とその術も心得ています。しかし、この仔たちにはそうしたある意味器用なことはできません。愛と憎しみを混同したり、愛を比べることもしません。
もし、この仔たちが、愛が享受できないと分かったとしたら、人と同じくこの仔たちにとってもそれは許しがたく、しかしだからといって失望し、その愛が憎しみに変わることもありません。恐らくこの仔たちは、その心を硬く閉ざすだけなのです
心の、その瞬間がこの仔たちのすべてであり、ふり返り悔やむことも、未来を危惧することもありません。人のように動機を省みず結果ばかりを案じ、無意味な不安に悩むこともありません。
ただ、私たち人間にもこの仔たちにも、一度として愛を感じることなく生涯を終えてしまうものがいるのは事実です。たとえ感じたことがあったとしても、劣悪で悲しく冷たい境遇が心を硬く閉ざしてしまうこともあります。
私がその家を初めて訪れたのは、すでに虫の音も聞こえ始めた夏のおわりの夕暮れ時のことでした。この仔との暮しをきっかけに知り合うことのできた友人たちとともに、自分たちにもできることがあるかもしれないと思い出掛けました。
そして、一組の知人夫婦の決断もあり、一つの幼い命を救い出すことができたのです。
その家は、私の故郷と同じ信州の別荘地に程近い、田畑の広がる村里にあります。
以前は宿泊業を営んでいて、その豊かな自然と避暑を求め、多くの人がその愛犬とともに訪れていたと聞きます。2階には6畳ほどの客室がいくつもあります。また1階には30畳はあろうかという大きな食堂。そして、玄関からその食堂へと続く廊下もとても広く、明らかに普通の住居とは違う大きなものです。
あるじは50歳前後と思しきふくよかな女性。物腰も柔らかく、接客業を営んでいたそのことばには、粗野なところは微塵もなく、育ちも気立てもとてもよく見受けられます。
その昔彼女は、イヌたちを連れて訪れる多くの宿泊客を迎え、彼女の愛するイヌたちとともに和やかに暮していたのでしょう。しかし、そのイヌたちに仔イヌを産ませ、売ることを生業にしてしまい、そうしなくては自分や家族が生きることができない状況に自らを追い込んでしまったのです。
彼女をあるじとも知らず、優しく触れ合うことすら知ることのできないイヌたちの悲しい叫びが、いくつもの扉の向こうから、さらにはその庭の物置からも聞こえています。
自分の排泄物すら遠ざけることも叶わず、その横たわる床も金網の冷たく狭い檻に入れられたままなのです。すべての窓はその鳴き声を外に漏らさないため硬く閉ざされたまま、木々の香りすらその家に入ることはありません。そして、片付けられずそのままの排泄物、食べ物や水を継ぎ足すだけの置かれたままの食器、様々な臭いの入り混じった、鼻は言うに及ばず目までもが痛くなるほどの堪らない空気に満たされています。日々の散歩もありません。中にはその心の限界を超え、叫ぶことすらできない、衰弱しその先には死しかないかもしれないうつろな目を持つ仔もいるのです。
この仔たちの祖先は3万年の昔から私たち人間とともに暮し、その暮らしをより良くするために、生きる術をお互いに補いながら今日に至っています。この仔たちの生まれ持った個性には、私たち人間と暮らす術がすでに備わっているのです。
この家の仔たちはその個性すら見出されず、自分以外に存在するものが心を許し、守り守られる仲間なのか、それとも捕食者のような敵なのかすら考える機会も与えられません。
私たち人間の多くが信じて疑わない物質的価値観が、この家の仔たちに、もちろんこの家のあるじにとっても例えようのない不幸な境遇を作り出しています。
今、この日本だけでも1200万ものこの家の仔たちと同じ命が存在しています。
そして、あろうことか私たち人間の一方的な都合とその物質的価値観のために、1日に何千という命が、決してその命が望まない惨い死へ、私たち人間自らが追いやっているのです。
守るべき命と向かい合うとき、ほんの少しでもいいから命を思い、その命の生まれ持ったすばらしい個性を感じることができれば、そして物質的な価値観ばかりを重んじるあまり、その命の重みが感じられないなんてことが少しでもなくなればと思わずにはいられません。
つづく